【Close Up この人】髙尾幸徳氏・伊勢三河湾水先区水先人会会長、丁寧な教育でワンチームに。相互の信頼が安全運航につながる
「考え方も価値観も違う中、水先人というプロフェッショナルな業務についてはワンチームとなるよう教育する」
5月に伊勢三河湾水先区水先人会の会長に就任した髙尾氏は、所属する112人(2023年6月1日現在)の水先人の教育に力を入れる。
以前は外航船の船長経験者だけに限られた水先人は、07年に施行された改正水先法の等級別水先制度(免許制度)により、幅広い人材が集まるようになった。112人のうち、2級・3級からの入会者は30人で、1級91人のうち9人が3級または2級からの進級だ。
海上自衛隊や海上保安庁、内航フェリーなど、さまざまな経験を持つ水先人。髙尾氏は「邦船社で外航船の船長をしてきた人とは育った環境も船の大きさも違う。職人技とも言える水先人の仕事だからこそ、丁寧に教育することが大切だ」と語る。
タグボートをコントロールして300メートルの船を1秒に5センチずつ動かす着岸業務は、「一つ間違えたら斬られる真剣勝負」。「300メートルの気配を感じられる達人の域に近づける教育が重要。ミスがあった場合も再教育を徹底する」と力を込める。
教育養成担当の副会長だった頃、ある事故を契機に安全運航の啓発ポスターをつくった。事故発生時の写真を載せたインパクトのあるポスターには、自身の信条でもある「愛、信頼、尊敬、そして思いやり」の言葉を添えた。「水先人は個人事業主だが、同じ会に所属する者としてチームワークは非常に大切。相互の信頼が安全運航につながる」という思いから、価値観や世代の違いも乗り越えて一つになるためのスローガンとして掲げたという。
ベテラン水先人に、若手の前で失敗談を語るよう促したことも。いわく「失敗談を隠さずに話せる人は失敗しない。言えない人は大失敗する可能性がある」。世代や経験を踏まえた上での徹底した教育と危険因子に目を光らせることで、この4年間重大事故"ゼロ"を継続している。
日本郵船時代は海務部定航チームで7年間、重量物輸送のプロジェクトマネージャーとして活躍した異色の経歴の持ち主でもある。セールス、チャータリング、プランニング、SV(スーパーバイザー)など、さまざまな立場からの幅広い業務をこなす中で、多くのトラブルも経験した。南米向けの水力発電プラント輸送では、渇水期の河川港で荷揚げを行う緊急事態に、欧州船社の技術者と話し合って特殊なオペレーションを決断、紙一重の差で成功させた。「失敗したら会社に戻れなかった」と笑いながら振り返る。
後輩には「これからの船乗りはマネジメント能力も求められる」と伝え、宮本武蔵の「五輪書」をモチーフにした引き継ぎ書を残した。トラブル対応の経験は社内外の信頼につながり、逃げずに飛び込む心構えは水先人会の会長となった現在の仕事にも結び付いている。
会員には「水先人は船舶航行の安全確保と運航技術の向上を通して、国民の暮らしや産業活動を支えている。自信と誇り、責任を持って業務を行ってほしい」と呼び掛ける。必要なのは「体と頭を鍛え続けること」。
過酷な業務に当たる水先人。会長になった今も節制に努め、毎朝3・5キロメートルのウオーキングと筋トレを欠かさない。週末は水泳、ゴルフ、釣りと体を動かして過ごす。水先人会の中では釣りクラブ会長でもある。
(神農達也)
たかお・ゆきのり 76(昭和51)年弓削商船高専卒、日本郵船入社。95年から同社で船長。12年伊勢三河湾水先区水先人会入会。23年5月から現職。67歳。