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 印刷 2020年09月01日デイリー版1面

海事弁護士に聞く モーリシャス座礁 損害賠償の論点】戸田総合法律事務所 弁護士・山本剛也氏、弁護士・青木理生氏。モ政府、異例の請求主体に

モーリシャスの現地では専門家らによる油回収作業が進められている(IMO提供)
モーリシャスの現地では専門家らによる油回収作業が進められている(IMO提供)
戸田総合法律事務所 弁護士 山本剛也氏(左)、青木理生氏(右)
戸田総合法律事務所 弁護士 山本剛也氏(左)、青木理生氏(右)

 モーリシャス沖でのケープサイズバルカー「WAKASHIO(わかしお)」の座礁事故による損害賠償の請求主体に注目が集まっている。通常は被害を受けた業者など「私人」が賠償請求の主体になるが、今回のケースではモーリシャス政府が請求主体になる可能性がある。海難事故の法務問題に詳しい戸田総合法律事務所の山本剛也弁護士と青木理生弁護士に今後の損害賠償を巡り想定されるポイントを聞いた。(聞き手 柏井あづみ、山田智史、鈴木隆史)

 --今回の座礁事故の特徴をどう捉えているか。

 「特殊性の一つに、モーリシャス政府という国家が損害賠償の請求主体になろうとしていることがある。今回の事故は、サンゴ礁をはじめとした自然環境が被害を受けており、誰が法的権利主体となり得るかが一つの論点になる」

 「われわれが担当することの多い日本近海の座礁事故の場合、通常は周辺海域の漁業者や観光業者などの『私人』が賠償の請求主体となる。国が請求主体となるのは、国有の岸壁や堤防が損傷した場合などに限られる」

 「日本の法律では、海洋汚染に対して日本政府が賠償を求めることは考えにくく、モーリシャスの法律がこの点をどこまで明確に定義しているかが注目される」

 「さらに世界が注目する社会的問題となっていることも重要な点だ。モーリシャスの稀有(けう)な自然環境の危機という点で、国際社会から船主の社会的、道義的責任が問われている。従来の多くの海難事故訴訟のような船主や用船者、荷主など海事関係のプレーヤー間の係争とは様相が異なる」

 --損害賠償の責任を負うのは誰か。

 「海難事故で第三者が損害を被った場合、一義的に船主が法的責任を負う。今回は『WAKASHIO』を保有する長鋪(ながしき)汽船のパナマ子会社が責任主体となり、同社が契約するP&I保険(船主責任保険)クラブが法的責任の範囲で賠償することになる」

 「今回の事故については当たらないと考えるが、事故によっては、用船者による航海指示などが原因とみなされ得るケースもある。その場合も、まずは被害者への補償を優先し、船主のP&I保険で賠償を進めた上で、船主と用船者が負担割合を協議することになる」

■油送船と違う補償

 --今回の事故はタンカーではなく、鉄鉱石を運ぶケープサイズバルカーによる油濁だ。

 「油濁の賠償制度は『タンカー』の貨物である原油や重油が流出したことによる油濁損害と、タンカー以外の『一般貨物船』の燃料油が流出したことによる油濁損害とで枠組みが異なってくる」

 「タンカーの場合、『CLC』(1992年の油による汚染損害についての民事責任に関する国際条約)が根拠となる。CLCで被害者が十分な補償を受けられない場合、石油メジャーをはじめとする荷主が負担金を拠出する『国際油濁補償基金』が補償するなど、被害が手厚く補償される枠組みが構築されている」

 「これに対して、今回の『WAKASHIO』のような一般貨物船の燃料油による油濁は『バンカー条約』(燃料油による汚染損害の民事責任に関する国際条約)の対象になる」

 「タンカーの貨物油が10万トンを超えるケースが珍しくないのに対し、バンカー条約が対象とする一般貨物船の燃料油は、多くともエンジンや発電機に使用する数千トンにとどまる。想定される油濁規模に大きな開きがあることが、賠償額の算定や補償体制の違いの一因となっている」

 「今回の『WAKASHIO』の賠償額の上限は約19億円または、約69億円になる見通しだ。一方、タンカーの油濁例では97年の『ナホトカ号』重油流出事故(流出量6200トン)のCLCと国際油濁補償基金などによる賠償額は261億円だった」

■責任制限が注目点

 --想定される賠償額の上限が19億円と69億円の2通りある理由は。

 「バンカー条約自体には賠償の責任限度額は明記されておらず、船主の賠償額を規定する『船主責任制限条約』(LLMC)をはじめとする一般的な責任制限制度に従って決まる」

 「責任限度額はLLMCの76年版と96年版(2015年改正版)のどちらを採用するかで異なってくる。『WAKASHIO』の総トン数に基づいて限度額を算定すると、76年版では19億円、96年版では69億円となる。損害を受けたモーリシャスや旗国のパナマは76年版、船主や責任保険者が所在する日本は96年版を批准している」

 「基本的には自国が批准しているLLMCを採用する裁判所が多いため、どの国の裁判所においてどのタイミングで今回の事故に関する船主の責任制限手続きに関する申し立てがなされるかが注目点となる」

■裁判外での解決も

 ――船主の責任制限を巡る留意点は。

 「例外的措置として、船主が裁判所に責任制限の適用を申し立てず、裁判外での協議による解決を目指す手法もあり得る。また、船主自身に極めて悪質な行為があったと判断された場合には、裁判所が船主の責任制限の申し立てを阻却する場合もある。こうした際には、船主責任制限のリミットが外れ、賠償額が大きくなる可能性がある」

 「なお、阻却事由の有無の判断は、個々の主体ごとに判断されることについては十分に留意してもらいたい。つまり、船長や当直者に阻却事由があるとしても、その使用者である船主の責任制限の可否に影響を及ぼさない。これは責任制限条約(LLMC)も日本の責任制限法も同じであり、船主自身に阻却事由があるとされるのは極めて例外的な場合に限られる」

■サンゴ損傷は対象外

 ――今回の事故は、どの国の裁判所が管轄するのか。

 「バンカー条約は油濁損害が発生した裁判所にのみ損害賠償請求ができると規定している。それに基づくとモーリシャスの裁判所が管轄すると考えるのが自然だ」

 「ただ、例外的ケースとして、バンカー条約を批准済みだが未発効の日本(今年10月発効予定)や、批准していない南アフリカなどの裁判所は、現時点において同条約の規定の対象外となり、論理的には今回の事故を管轄できる」

 「また、バンカー条約の対象は油濁損害のみであるため、油濁ではなく座礁によって損傷したサンゴ礁などの損害に関する賠償請求についてはモーリシャスの裁判所の管轄に限られない」

 「さらに、油濁損害に関する賠償請求の裁判と、責任制限に関する裁判とは必ずしも同一の裁判所で執り行われるというものでもなく、また、異なる国の複数の裁判所で複数の手続きが行われるシナリオも否定できない」

 「原告となるモーリシャス政府が各国の裁判所で想定される賠償上限額を考慮し、どのようなシナリオを描いて裁判を提起する国を選ぶか、被告となる船主側がこれに対しどのように対応するかという戦略的判断による」

■公序を害しない

 ――仮にモーリシャスの裁判所で責任制限が適用されず、莫大(ばくだい)な賠償を求める判決が出た場合、日本国内に効力は及ぶのか。

 「外国の判決は国内で直ちに承認され有効となるわけではない。日本の裁判所が民事訴訟法上または特別な条約上の特別な規定に基づいて承認をして初めて有効となる。この点、バンカー条約は管轄のある外国裁判所が下した判決を原則として承認しなければならないと規定している」

 「日本ではバンカー条約はまだ未発効だが、今年10月1日から発効する。本件事故は発効前に起こった事故だが、日本でバンカー条約が発効した後はモーリシャスの判決はバンカー条約に基づいて基本的に日本国内で承認されるという解釈論があり得る」

 「ただ、バンカー条約に基づく裁判は、油濁損害に関する責任の主体や責任の有無、その損害額などについて判断がなされるにとどまる。責任制限の可否や限度額についてはLLMCが規定し、バンカー条約の範疇(はんちゅう)を超える。このため、責任制限の可否や限度額に関する部分については、日本の裁判所がバンカー条約を根拠にしてモーリシャスの判決を承認できないという考えもあり得る」

 「では、日本の裁判所がバンカー条約ではなくLLMCに基づいて責任制限に関するモーリシャスの判決を承認するかという点だが、日本とモーリシャスでは批准しているLLMCが異なることもあり、同条約に基づいた承認というのは難しい面が多いと考える」

 「このほか民事訴訟法の規定に基づいて承認が認められる場合もあるが、通常、外国の判決が日本で有効となる場合は、日本の裁判所が『日本の公序を害しない』と判断した場合に限られる」

 「日本が批准する96年版LLMCの上限69億円を大幅に超える判決がモーリシャスで出たとしても、日本の裁判所が『公序を害する』と判断すれば、日本国内での効力は生じない」

 「一方でモーリシャスの判決をそのまま承認する関係にあるような他の国が存在するのであれば、その国ではモーリシャスの判決が有効となり得る。そうした国へ船主の船が寄港すると、差し押さえを受ける可能性が出てくる」

 

 やまもと・たけや 97年東大法卒。企業法務専門の法律事務所を経て、04年戸田総合法律事務所入所、11年英サウサンプトン大海事法ショートコース修了。多数の海事関係事案を担当し、英国系海事法律事務所シンガポール支店などでの執務経験を持つ。73年生まれ。

 あおき・みちお 03年一橋大社会卒、05年同大法卒、06―07年東大院法学政治学研究科、09年戸田総合法律事務所入所、15年英サウサンプトン大海事法ショートコース修了。海難事故訴訟、用船契約紛議仲裁、粗悪油問題など、多数の海事関係事案の担当実績を持つ。80年生まれ。