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 印刷 2019年07月08日デイリー版6面

木島榮子-私とクルーズ 半世紀を振り返って】(11)/プリンセスとの出会い

リンドブラッド社長(左)と和田社長
リンドブラッド社長(左)と和田社長

 集客に非常に苦労し、大きな赤字も出て「もう二度と(自主運航は)やらないだろう」と社員は思っていました。しかし、和田良一社長は翌1985(昭和60)年2-3月にグアム、サイパンを中心にパラオやヤップを巡る「ミクロネシア・クルーズ」を計画し、運航を開始しました。社長自らクルーズに参加し、パラオの海でお年寄りの乗客たちの手を取って乗下船を助けたりしていました。

 その年の3月21日お昼ごろ、休日で家にいたところにパラオから電話が入りました。「社長が急に倒れたから今すぐ日本に送り返す。病院も手配してあるから迎えに行ってほしい」という緊急電話でした。主だった社員に指示を出し、社長が緊急入院する三井病院に駆けつけました。病名は膵臓(すいぞう)がんで、かなり進行しているということでした。

 当時、私は商品企画部長としてツアーパンフレットの作成をしていましたが、商品内容、パンフレットのレイアウトから表紙のデザインなど、全て社長のOKを取るために病院に行きました。行くたびに目に見えて病状が悪化していくのが分かり、本当につらい思いをしました。ご家族、社員はもちろん、業界人全てに惜しまれ、入院後一度も退院することなく同年5月1日に永眠されました。

 和田社長は、リンドブラッド・トラベルのラース・エリック・リンドブラッド社長とともに時代を先取りした斬新な海外旅行商品はもとより、まだ日本ではなじみがなかった本格的な欧米のレジャー・クルーズを率先して企画販売した功績は大きいと思います。日本のクルーズ業界の先駆者と言ってもよいと思います。またクルーズだけでなく、ヨーロッパやアメリカではやり始めていた「スポーツ&リゾートツアー」という新しいコンセプトのツアーも発表。いずれも10年も20年も時代を先取りしたものでした。私が今日あるのも、和田社長の薫陶を得たからだと感謝しています。

 和田社長の逝去後、以前から彼の旅行商品に関心を持っていただいていた西武セゾングループの堤清二氏の配慮によって西武百貨店旅行事業部の援助を受け、西武百貨店から社長ならびに総務部長が来られ、「ヴァリュー・ツアー」を引き続き企画販売しました。

 チャータークルーズで大赤字を出した「クルーズ・インターナショナル」は閉鎖となりましたが、プリンセスクルーズの販売代理店契約は継続。当時のプリンセスは米国の客船会社でしたが、英国のP&O(Peninsula and Orient Navigation Company)の傘下にいました。当時のアジア地区担当営業部長ロバート・パリー氏が来社し、「自分たちは2、3年で成績を出せとは言わない。10年の長いスパンで見るので安心して販売してほしい」と言われました。

 英国流の、共に協力して長期にわたって友好な関係を築くというプリンセスクルーズに大いに感銘を受けました。私が今日まで長らくプリンセスクルーズに携わってきた原点でもあります。

 (クルーズバケーション社長)