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 印刷 2019年07月01日デイリー版7面

木島榮子-私とクルーズ 半世紀を振り返って】(10)/マルコス大統領と小切手

耀華号のクルーズを紹介するパンフレット
耀華号のクルーズを紹介するパンフレット

 中国政府が1978(昭和53)年に経済体制の改革を決定し、翌年から対外開放政策を推進することになったと報道されると、リンドブラッド氏は中国の国賓や政府要人専用に使用していた2000総トン、36人乗りの豪華客船「崑崙号」をチャーター。そして80(昭和55)年11月に日本で最初に「崑崙号」を使った「ヴァリュー揚子江クルーズ20日間」を販売しました。南京で乗船し、九江、武漢、山峡クルーズ、重慶で下船する11日間のクルーズの前後に上海、蘇州、北京を巡る20日間の旅。揚子江2000キロメートルを上りコース、下りコースと翌年12月まで27便を運航しました。

 82(昭和57)年、日本のクルーズ市場を広げようと別会社「クルーズ・インターナショナル」を設立しました。プリンセスクルーズを中心に、中国の「崑崙号」「耀華(ヤオファー)号」、ミシシッピ川クルーズを運航するデルタクルーズ、極地クルーズが中心のリンドブラッド社など、欧米の客船会社と総代理店契約を締結しました。

 また、82年には中国の1万総トン、乗客定員189人、全室海側キャビンの客船「輝華号」をチャーターし、82年12月から83(昭和58)年3月の冬休み期間にフィリピンの島々を巡る「トロピカル・アイランド・クルーズ、青いサンゴ礁への船旅8日間」を自主運航しました。

 翌年84(昭和59)年5月から12月も大手旅行会社5社が参加して「トロピカル・アイランド・クルーズ6日間」を販売しました。クルーズがどんな商品なのか知っている社員は皆無といっていいような状態で、とにかく手探りの商品でした。社員が交代で乗船し、レセプションのお手伝いや、クルーと一緒にフィリピンのバンブーダンスを踊ったりして仮装大会を盛り上げたりと、お客さまにクルーズを楽しんでいただくために一生懸命働きました。

 この時、船で働きたいと応募してきた前村あけみさんはレセプションや船内ショップの担当をしていました。彼女はその後もクルーズの仕事を続け、今ではプリンセスクルーズやキュナードの船をはじめ多くの客船でクルーズコーディネーターとして活躍しています。

 まだ学生で「船が大好きで夏休みに働きたい」と応募してきた川野恵一郎さんも、クルーズスタッフとして働きました。川野さんはその後に商船三井客船に入社し、人気パーサーとして活躍。「にっぽん丸」のゼネラル・マネジャーなどを経て、今年6月には同社の取締役に就任されました。

 「青いサンゴ礁への船旅」はマニラを母港にセブ島、シコゴン島、ボホール島を周遊する1週間のクルーズ。何回に1回はカボタージュをクリアするためマニラ-香港クルーズを運航しました。

 「耀華号」がフィリピンの島巡りクルーズを運航すると発表されると、地元フェリー会社からお客を取られると大規模な反対運動が起こり、地元新聞にも報道されるほどでした。当時はマルコス大統領の時代でしたので、現地の旅行会社を通じてマルコス大統領宛てに小切手を送って何とか混乱を収めてもらいました。その後も何かにつけて問題が起きると、そのたびにマルコス宛て小切手を切りました。

 (クルーズバケーション社長)