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 印刷 2019年05月07日デイリー版6面

木島榮子-私とクルーズ 半世紀を振り返って】(3)/貨客船を探し渡航手伝う

同僚と仕事に励んだ事務所で(67年4月)
同僚と仕事に励んだ事務所で(67年4月)

 営業アシスタントの業務は商社や銀行、自動車会社、大蔵省などの社員の海外出張のための旅程作成、パスポートやビザ取得のための書類作成業務が中心でした。

 入社1年前の1964(昭和39)年に海外旅行が自由化され、海外持ち出し外貨も1回500ドルになりました。当時は1ドル=360円、私の初任給は2万円。そのころ、モーレツ商社マンや自動車会社の社員たちは1回の出張が2週間、3週間と長期にわたり、ホテル代や食事代を含めると500ドルの外貨枠ではとても足りず、追加外貨を日銀に理由書を書いて申請するのも営業アシスタントの仕事でした。

 一方、留学する学生や若い人たちが海外に行く際の手続きもしました。60年代は小田実の「何でも見てやろう」や五木寛之の「さらばモスクワ愚連(ぐれん)隊」「青年は荒野を目指す」などに触発され、多くの若者が世界に飛び出していきました。

 お金のない若者が海外に出るには船を使うのが一番。米国やカナダに留学する人たちには、アメリカン・プレジデント・ライン(APL)の船底の大部屋2段ベッドを予約したり、シッピング・ガゼットをめくりながらアメリカ西海岸のシアトル、ポートランド、オーストラリアのブリスベンやシドニー方面に行く貨客船を探し、学生たちの渡航を手伝ったものです。

 安い旅費で欧州方面に行く時に一番人気があったのは、横浜からナホトカ航路の客船で2泊3日かけてナホトカまで行き、そこからシベリア鉄道でハバロフスクに出て、余裕のある人は飛行機でモスクワに向かい1泊。翌日、列車に乗り換え東ドイツのベルリンに行き、そこから西ベルリンに抜けてパリやロンドンなど西側ヨーロッパ各地に出かけて行きました。横浜から欧州の目的地まで5-6日かかったことになります。

 もっと経費を詰めたい人は、ナホトカからシベリア鉄道で9日間をかけてユーラシア大陸を横断し、モスクワまで。また、北杜夫の「ドクトル・マンボウ航海記」や遠藤周作などが欧州に留学する際に使ったのが、欧州とアジアを結ぶフランス郵船(MMライン)でした。横浜や神戸から香港、バンコク、シンガポール、コロンボ、ボンベイ、そしてインド洋からアラビア半島を通りスエズ運河を通過。フランスのマルセイユまで約40日かけて航海します。

 当時、飛行機で欧州に行くには往復60万円くらいかかったと思います。私の給料が2万円ですから約3年分。69(昭和44)年にボーイング747のジェット機が就航し、バルク運賃という団体旅行用運賃が出ましたが、それでも欧州往復は30万円前後。現在に換算すると120万円くらいでしょうか。

 (クルーズバケーション社長)